独特のルールや習慣、思考などを持つサーフィンに魅せられた人々「サーファー」とは、なんとも不思議な変わった人種である。というのは、彼らは良い波のあるところであれば、たとえ地の果てまでも喜んで旅に出てしまうからだ。
物資や技術が溢れ自分で何かを発見するようなことが少なくなった現代において、いまだにその「発見」という興奮やスリルを体験できるサーファーとは社会全体から見てもかなり珍しい集団であろう。日本やオーストラリア、ハワイ、ヨーロッパ、アメリカなどのビーチはいつも人で溢れ、そのうえ自然も汚染されてしまったので、アドベンチャーサーファーたちはホワイドサンドビーチ、ヤシの木、手付かずの大自然を併せ持つ未開のサーフポイントが眠っている魔法のような島を1000以上も持つインドネシアに魅せられるようになっていった。サーファーたちは都会の日常生活から逃れ、新たなパーフェクトウェーブを見つけようとインドネシアを探検し始めたたため、インドネシアはアドベンチャーサーファーたちの間で「究極のパラダイス」としてあっという間に知られるようになった。
1970年代にサーフスポットとしてのバリ島の魅力が発見された時、世界中のサーファーたちは映画「モーニング・オブ・ディ・アース(Morning
of the Earth)」(1973年)で見たのような素晴らしい波とエキゾチックな雰囲気を想像して沸いた。映画の中でウルワツは「魔性の水のある場所」と呼ばれていたが、サーファーたちにとってそんなことはおかまいなしだった。サーファーにとって大事なことは「波」、ただそれだけだったからだ。
瞬く間にウルワツおよびクタ、サヌール、ヌサドゥアといったバリの有名ビーチは、暑い南の島で波に乗りたいと思う多くの熱狂的サーファーで賑わうようになった。バリが大勢のサーファーでいっぱいになってきた1980年になるとアグレッシブなアドベンチャーサーファーたちは、「小さなバリ島でさえ20以上のワールドクラスのサーフスポットがあるんだから、バリ島より大きいスマトラ島やジャワ島、ロンボク島にはもっとたくさんのスポットがあるに違いない!」と考えるようになった。
こうしてインドネシア探索が始まった。現代のマルコ・ポーロとでも言うべき者たちが「今までにサーファーが行ったことの無い場所はどこか?」と冒険を開始した。
実は彼らのこの冒険は、1970年代にクタで起こった事例と同じように、現在のサーフィン観光事業の基礎作りに一役買っている。地元民がアドベンチャーサーファーの為に寝床を提供することから始まり、次にワルン(屋台)が“サーファーフード”なるものを売り出し、そしてベモ(乗り合いバス)のドライバーがサーファーをローカルビーチへ案内するガイドの役目をし始めた。クタも始めはこのように小さなところから徐々に観光事業が始まったのだが、それが今や何百万ドルを誇る一大観光産業となっている。サーフィンにまつわるこんな小さな始まりが今日のクタビーチの繁栄につながるなど誰が想像しただろうか?
ジャワ島の南西端にあるグラジャガンはインドネシアの数々のサーフスポット発見の中でもおそらく1番の
功績であろう。
1973年、Bob Lavertyというアメリカ人サーファーがジャカルタ発バリ行きの飛行機に乗っていた。何気なく窓の外を見ていた彼は、未開のジャングルの淵に沿って何マイルも続くリーフにパーフェクトな波がキレイに割れているのを見つけた。上空から見る限りそれは世界で1番ロングライドができる波に見えた。バリに戻ってすぐに彼は、絶対に秘密を守ると誓った親友と一緒にその場所へ向かった。ジャングルの中をバイクで走り回り、星空の下で野宿し、そして誰もいないその秘密の場所で最高の波を楽しんだ。
現在はその場所には、ビーチ際に何件かの簡易宿などが出来ており60人くらいのサーファーを収容できるようになっているが、その周辺の熱帯雨林は今も手付かずのまま残されている。現在グラジャガンは世界のベストレギュラーウェーブとして知られており、大勢の世界的トップサーファーたちも毎年この地を訪れている。グラジャガンはサーフィン界ではG-landとして名が通っている。
1995年、クイックシルバーがスポンサーとなって「G-land International Professional
Surfing Contest」が初めて開かれた。時には10フィート以上にもなる見事な波の上でどのようなパフォーマンスを見せられるのかと、世界のベスト50サーファーが招待された。結果としてこの大会は「今まででもっとも素晴らしいサーフィンコンテスト」として知れ渡ることになるのだが、それは見事な波だけが理由ではなく、ジャングル冒険のようなロケーションも大いに関係していたと言えよう。