次の偉大な発見は北スマトラの海岸から100マイルの沖合いにある島、ニアス島だった。
オーストラリア人ケビン・ロベットとピーター・トロイが1975年にラグンドリ湾のセンセーショナルな波を体験した初めてのサーファーと言われているが、1975年以前にスマトラ本土の観光名所トバ湖を訪れたサーファー達が、偶然にニアス島のサーフポイントを見つけていた可能性がある。あまりにも素晴らしいニアスの波を目の当たりにした彼らは人に知られないようにニアスを「Sian」という仮名で呼んでいた。
その完璧なコーラルブレイクの波で一躍世界に知られることになった離島ニアスでは、その後小さなホテルやレストランがさかんに建設され、1995年には国際的なサーフィン雑誌とビデオ店の大々的なバックアップで「Nias
Indonesia Pro」Contestが開催されるまでになった。2005年のニアス島地震でビーチフロントのホテルが破壊の憂き目にあったが、2006年の再開営業へ向けて現在も着々と工事が進んでいる。
インドネシア人アドベンチャーサーファーの第一人者はバリ島初期サーファーのひとりニョマン・“ボビー”・ラディアサだ。70年代の半ば、イギリスの有名な自然主義者、デヴィッド・アッテンボローの通訳として働いていた彼は、
BBCテレビの連続番組「炎のリング」撮影のためにスマトラからティモールまで移動した際に、実にたくさんのサーフポイントを発見した。
その後ボビーは東スンバワのグラジャガン(G-Land)とプリスコープ・ポイントにサーフキャンプを創設、現在は近くのレイキー・ピークに70人収容の宿泊施設がある。ここで何度か『Damp
Indonesia Pro』Surfin Contestが開催され、何千人もの人々が引き付けられるようにやって来た。地元民は集まって来た人々の宿泊費、トランスポート、食料用の海の幸、米や野菜などから大きな利益を得た。今でもアドベンチャーサーファーが以前はヨットでしかアクセスできなかった西海岸の3つのビッグスポットのあたりを重点的に探索し続けています。最近では波や地形の特徴をそのまま名前にしたスカー・リーフ、スーパースック、ヨーヨーなどのサーフポイントを目指す個人サーファーの陸路トレッキングが始まっている。
ロンボクは、ヨットでアクセスする完璧なロングライドリーフ:デザート・ポイントだけが有名だった。
最近、熱心なサーファーが島の中南部沿岸の町で新たなサーフ・ポイントの調査を始めている。この辺りは沿岸は1時間ドライブするだけでもいくつかの発見がある。この町もクタといってバリ島のクタと区別してクタ・ロンボクと呼ばれている
インドネシアで発見されている中で、今のところ最も危険とされるポイントはジャワ西部にある。スンダ海峡パナイタン島のワン・パーム・ポイント。カリタビーチからパナイタン島に向かうヨットからは、1883年の爆発で3万6000人以上の犠牲者を出した有名なクラカタウ火山が見える。海中のクレーターにできた新しい火山アナック・クラカタウ(クラカタウの息子)は最近火山活動が活発で、2?3時間おきに空中に何千フィートもの火柱を立てて噴火をくり返し、夜になるとカリタビーチから溶岩の赤い輝きを眺めることができる。
ワン・パーム・ポイントの長さ数百mにもなるロングライドチューブでは、ほんの少しのミスでたちまち危険な浅いサンゴ礁の海底に叩き付けられてしまう。湾の反対側のライトハンダーの底はすべて均一な浅瀬、ここの危険性は“アポカリプス
ウォウ(黙示録 わお!)”という不名誉な呼び名からも分かる。パナイタン島は上級者のためだけの場所なのだ。
運よく西ジャワ本土の南海岸の近くチマジャにそれほど危険ではないポイントがある。ラトゥ湾のそば、オンバック・トウジューは最もよく知られているポイントだが、アドベンチャーサーファーは西ジャワ本土と小さな沖合の島々でもたくさんの新しい秘密のポイントを発見している。
新しいサーフポイントの開拓が難航しているのは、アクセス困難なスンバの海岸と西ティモール一帯だろう。
ボビー・ラディアサのワナサリ・ウィサタ社はこれらの区域でもたくさんの完璧な波がたつポイントを発見して何度かヨットで探索を行っている。最初のサーフトリップグループが新ポイントへ船旅をしている、そんな話が漏れた途端、筋金入りのサーファーがこれらのポイントへ向かって陸路から道なき道を伝ってサーフトリップを始め、また新しいサーフタウンが生まれることだろう。
スマトラ島は果てしなく広大な領域である上に最良のサーフスポットが本土から遠く離れた沖の島にあることから、たくさんのポイントが手付かずのまま残っている。最近、スマトラの大自然が残る西海岸線、未開のジャングルメンタワイ列島が世界でもっともパワフルな波の本場として知られるようになった。少しずつだが着実により多くのスポットが発見されている。スマトラ島の探索の余地は無限のようにも見える。
皆が利益を得ることができる“サーフ・ツーリズム”。外国人サーファーは混雑と無縁で完璧な波をゲットし、地元民は外国人サーファーへ食物や宿泊場所やトランスポートを提供して利益を得、繁栄し始める。この“大衆”的な観光産業の最も良い点は、サーファーが普段の姿のインドネシアの人々とダイレクトに交流すること。インターナショナルな5つ星リゾートでじっとしているサーファーなんてめったに見かけないように、
彼らは5つ星リゾートよりも、忌々しい雑踏から遠く離れた村の静かな海辺で釣りでもしながら自分達なりの時間を過ごす方がずっとましなのだ。そしてその延長上にサーファーと地元民の個人的な交流、アイデアと文化の交換がある。このような交流が変わらない友情と理解といったより良い関係を作りあげるのである。
毎年たくさんのサーファーがやって来るインドネシアの美しい海を守るために活動する非営利機構、大勢のサーファーが参加している国際的なサーフライダー・フォウンデーション。最近、バリにその支部が開設された。地元バリ人と政府機関が共に運営しているGUS
(A WAVE OF FRESH AIR) は、サンゴ礁やジャングル、きれいな海を保護・保存し、未来に継承していくことを目標に活動を続けている。彼らのモットーは?“Lindungilah
Alamku. Pantaiku,Pantai Indonesia.:自然環境を守ろう。私達の、インドネシアのビーチ”だ。
インドネシアでさらに『新しいバリ』を探索し続けるサーファー達は、地域ごとの自然環境と穏やかさが破壊されないように、地元が利益を獲得するためだけの急激な開発をマネージメントする手助けができるだろう。70年代?80年代のごく初期のアドベンチャーサーファー達は、爆発的なバリの観光客増加、特にクタに見られる若干の決して良いとはいえない局面からたくさんのことを学んだ。このような過ちは繰り返すことを避けることができるはずだ。すべてのツーリストサーファーにとって、たぶん今が地元の文化を尊重し、自然環境を保持するために何が出来るかを再確認する、最も良い時期と言えるだろう。
最近、誰もが聞いたことがあるくらい頻繁に言われている標語のひとつが『Search
but don’nt destroy:探索するけれど破壊しない』。 別の一例は『Take only memories,
leave only footprints:持ち去るのは思い出だけ、残していくのは足跡だけ』。また、インドネシアの遠く離れた離れ島を探索し続けているサーファー向けにはこの標語を加えることができるだろう:『Remember
Kuta:クタを思い出して』。これから十数年の間に、幸運で熱心なアドベンチャーサーファーがインドネシアでさらなる最高のサーフポイントを発見するだろう。彼らに対して私達ができることは、ただ『幸運と健康を、それから….クタを思い出して』と言うことだけである。
「新しいバリ」を求めてインドネシアの離れ島を探っているアドベンチャーサーファーの中には、外洋への冒険と開拓の精神が未だに生き続けているのはとても良いことだ。手付かずの自然に対する彼らの愛は、何世代もの間に渡って地域の環境守るのに役立っていくことだろう。