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第2回「ヘルプミ〜!」 後編

おおよそ1分、大急ぎでかいで漕いでやっと安全な後側へ出た。足元の水は暗い真夜中の空のような青で、波が砕けるには深すぎるようだった。波が通りすぎる度に、無気味な渦が底の方から浮かび上がってくる。厚い6フィート2本を気乗りしないままパドリングでやり過ごしたが、波は割れもしなかった。

私はそれら6フィートの1本をキャッチするポジションに行ってみようと、試験的にパドルで少し近付いた(のが大きな間違いだった)。私は、もう安全だ、ブレイクの外へ出ていてもう大丈夫だと思っていた。想像してみて欲しい、津波じみた巨大な波が海の向こうからこっちに向かって盛り上がって来るのを見上げたときの私の恐怖を。心臓をバクバクさせながらも、パドルで超えられるかも知れない、ととっさに判断した。それ以外に方法がなかったのだが。近付いて来る最初の波をまともに見ることすら怖くてできなかった。頭を下げ、壁のような波へ力いっぱいパドリングしながら、自前の能力ではとうてい歯が立たない危険な状況へノコノコと入り込んでしまった自分自身を呪った。 “大事故”という言葉がくるくると頭の中で回り、私はすっかりパニック状態だった。それでもどうにか波を見据えようと気持ちを奮い起こしたとき、50m以上離れているのにもうすでに高く釣り上がった巨大なセットが3本、羽を広げるように左右に伸びてこっちに迫って来るのが目に入り気分が悪くなった。私は最悪な状況に陥ってしまったのだ。

沖合い700m、足元は鋭いサンゴが密生するリーフ、想像をはるかに越えた巨大な波、ウミヘビがはびこっている大海原の中に私を放り出そうと待ち構えている世界で最も深い水域。リーシュコードが切れるのではないか?こんな遠距離を海流に逆らって泳ぎきれるか?もし私が沖に流されてしまったら、あの頼りないアウトリガー船に乗った漁師達は私を救出できるのか?

そうして私は気が付いた、インドネシア語で「助けて!」と叫ぶにはどうしたらいいのか全然分らないということに。

とにかくこの窮地を脱出するために、自分の気持ちを落ち着かせようと努力した。丁度バリへ初めて旅行する前にSurfing World誌のブルース・キャノン氏がくれた経験豊かなアドバイスを思い出し、私はボードから滑り降りた。『波をキャッチしながら最も小さい到達可能な目標を定めて、ボードの先端をまっすぐビーチに向けなさい』。私が最後に見たのは、5メートル手前まで迫った、今までに見た中で最も大きい、最も厚い、最も怖い、ハードブレイクのチューブだった。真っ暗な水中にダイブしながら黙祷し、リーシュコードの上のレンチにひねりあげられて脚が脱臼するのを覚悟した。鋭利なサンゴ礁に吸い込まれてしまったら避けようがない大惨事になる、と心の準備をしようともした。それとも私の肺が破裂するまで海底に引きずり込まれるか。最悪なのは、巨大な壁の波が砕けた強力な圧力に私のリーシュコードが巻き込まれること。私はあっさり沖に運ばれ本当に取り残されてしまう。正直言って、私は死ぬほど怖かった。

奇跡的に、最初の波はすんなり簡単に通り過ぎていった。私は海面に飛び出し感謝しながら息を吸い込み次に来る恐ろしい波に備えた。最初の波はボードのテイルの上をまっすぐに通り過ぎて行き、私は巻き込まれも、引きずられもしなかった….氏のアドバイスは貴重だったのだ。陸に向かってボードを押して、深くダイブする…次の波にもその手順を繰り返した。泡の壁の後ろに浮かび上がりボードに這い上がった私を次の波がかすって行った。その最後の波の後ろに平らな大海原が見えたときの開放感は、とても言葉では説明できない。私は笑っていいのか泣いていいのかも分らなかった。

今までに直面した中で最も大きいクローズアウト・セットをやり過ごし、この重大なサーフィンのマイルストーンから生還できたことを実感するにつれ、私の顔にはゆっくりと妙なほほ笑みが浮かんできた。「ありがとう!」私はとても役に立つアドバイスをくれたブルースに叫んだ。そして、リーシュコード を発明した名も知らぬもうひとりの男へ。「どんな奴だろうと君は相棒だ!世界中のサーファーは君に恩義を感じているよ!」

恐怖のクローズアウトセット体験ですっかり懲りた私はその日インサイドの小さな波数本で済ませた。数時間後、岸へトボトボと歩いていくと、マデがワルンで待っていた。彼は「サーフィンはどうだった?」と聞いてきた。正直に全部話したほうがいいとも思ったが、怖じ気付いた私はメンツを保とうとした。「ああ、オーケーみたいだな。うまくいけば明日はもっといいだろうね」。 もっとも私は彼の目を見ることができなかったし、マデは以前からこれと同じような見え見えの虚勢を100回は聞かされているのだろうと本心では分かっていた。

私はさっきのアウトサイドでのパニックを誰にも目撃されなかったことを秘かに喜びながら、一番奥のコーナーテーブルに滑り込んだ。コーヒーをすすりながら、私は徐々にすべてのサーファーがこういった恐怖に直面する痛い経験をして、精神力の限界に立ち向かっているのだという認識を持った。きちんとした設備、正しい忠告とそれに従う態度があれば、少しずつでも進歩して、より大きい波に取り組めるようになるのだ。

翌月、もう少しだけヌサドゥアでサーフィンをしたが、決して無理はせず、ひとりも避けた、学習効果というやつである。それにインドネシア語もすぐに学び始めた。私が覚えた最初のインドネシア語は「助けて!」である。

PS. バリでサーフィンする予定の皆さん、「助けて」はインドネシア語で「Tolong!(トロン)」です。

 
第2回 「ヘルプミ〜!」 後編 終了(2006年03月公開)
 
第3回 「 バリ島ではじめて見た日本人サーファー?」前編へ・・
 
 ピーター・ニーリー(Peter Neely) プロフィール
1975年以来30年もの間、バリ島およびインドネシア内各地でサーフィンを楽しんでいる現役オーストラリア人サーファー。バリ島を中心としたインドネシアのサーフィン界の活性化に役立ちたいと1992年に「インドネシアサーフ&ランゲージ」を発行。以来、日本語版は毎年、英語版は半年に1度更新中。( ピーター・ニーリー氏の独占インタビューはこちら
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